今回は久しぶりの英書になります。今年入ってからBLOWOUTを読み進めてましたがあまりに長く心が折れかけているので短く読みやすい本、かつこのタイミングだからこそ読んでみたいコロナの時代を問うHow Contagion Worksを読みました。
まえがき
著者はイタリアの小説家パオロジョルダーノさんによるショートエッセイの詰め合わせの本です。
早川書房さんのnote上で限定全文公開され話題になりました。全文公開した意図は、この緊急事態宣言化の日本において、今、このときに広く読まれるべきだと出版社が判断したからです。
著者のパオロジョルダーノさんが住むイタリアというと、爆発的な感染者数が見られた(ている)地域です 。このエッセイが発売された時点ですでにイタリアは中国の感染規模を上回り、その後NYがその数を上回るまで、最も被害の大きな地域の一つでした。
コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと
noteに公開されている著者のあとがきの部分が今このタイミングだからなのかとても心に残る文章であった。この文章を忘れたくないのでここに引用したい。(引用元は下記リンク)
僕は忘れたくない。ルールに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを。病人はもちろん健康な者の世話までする人々の疲れを知らぬ献身を。そして夕方になると窓辺で歌い、彼らに対する自らの支持を示していた者たちを。ここまでは忘れてしまう危険はない。簡単に思い出せるはずだ。もう今度の感染症流行にまつわる公式エピソードとなっているから。
でも僕は忘れたくない。最初の数週間に、初期の一連の控えめな対策に対して、人々が口々に「頭は大丈夫か」と嘲(あざけ)り笑ったことを。長年にわたるあらゆる権威の剥奪(はくだつ)により、さまざまな分野の専門家に対する脊髄(せきずい)反射的な不信が広まり、それがとうとうあの、「頭は大丈夫か」という短い言葉として顕現したのだった。不信は遅れを呼んだ。そして遅れは犠牲をもたらした。
僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても僕が飛行機のチケットを1枚、キャンセルしなかったことを。どう考えてもその便には乗れないと明らかになっても、とにかく出発したい、その思いだけが理由であきらめられなかった、この自己中心的で愚鈍な自分を。
僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセーショナルで、感情的で、いい加減な情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたことを。もしかすると、これこそ何よりも明らかな失敗と言えるかもしれない。それはけっして取るに足らぬ話ではない。感染症流行時は、明確な情報ほど重要な予防手段などないのだから。
僕は忘れたくない。政治家たちのおしゃべりが突如、静まり返った時のことを。まるで、結局乗らなかったあの飛行機を僕が降りたら、耳が両方とも急にもげてしまったみたいなあの体験を。いつだって聞こえていたあの耳障りで、常に自己主張をやめなかった政治家たちの声が――少し先を見据えた言葉と考察が本気で意見を言うことをことごとく妨げてきたあの横柄な声たちが――ぱったりと途絶えた時のことを。
僕は忘れたくない。今回の緊急事態があっという間に、自分たちが、望みも、抱えている問題もそれぞれ異なる個人の混成集団であることを僕らに忘れさせたことを。みんなに語りかける必要に迫られた僕たちが大概、まるで相手がイタリア語を理解し、コンピューターを持っていて、しかもそれを使いこなせる市民であるかのようにふるまったことを。(移⺠たちのことを一切考慮せず、大切な知らせがイタリア語のみで伝達されていること、学級閉鎖にともない、いきなりオンライン授業が導入され、教育現場が混乱している状況などを指している)
僕は忘れたくない。ヨーロッパが出遅れたことを。遅刻もいいところだった。そのうえ、感染状況を示す各国のグラフの横に、この災難下でも僕らは一体だとせめて象徴的に感じさせるために、もうひとつ、全ヨーロッパの平均値のグラフを並べることを誰ひとりとして思いつかなかったことを。
僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。
僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎(うと)かったことを。
僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを。
陽性患者数のグラフの曲線はやがてフラットになるだろう。かつての僕たちは存在すら知らなかったのに、今や運命を握られてしまっているあの曲線も。待望のピークが訪れ、下降が始まるだろう。これはそうあればよいのだがという話ではない。それが、僕らがこうして守っている規律と、現在、敷かれている一連の措置――効果と倫理的許容性を兼ね備えた唯一の選択――のダイレクトな結果だからだ。僕たちは今から覚悟しておくべきだ。下降は上昇よりもゆっくりとしたものになるかもしれず、新たな急上昇も一度ならずあるかもしれず、学校や職場の一時閉鎖も、新たな緊急事態も発生するかもしれず、一部の制限はしばらく解除されないだろう、と。もっとも可能性の高いシナリオは、条件付き日常と警戒が交互する日々だ。しかし、そんな暮らしもやがて終わりを迎える。そして復興が始まるだろう。
支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩(やから)はにわかに団結し、チームワークに目覚めるものだ。一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。
もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。まずはめいめいが自分のために、そしていつかは一緒に考えてみよう。僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。
家にいよう(レスティアーモ・イン・カーサ)。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼(いた)み、弔(とむら)おう。でも、今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために。
コロナが拡大したいま時点で振り返ると「もっとこうすべきだった」が山のようにあります。でも、起きたことはきっと現代のできる最善の努力の結果だったと思います。
コロナの無慈悲な所は、ウイルスなので感染は目に見えず、また症状も感染後時間を経て発症するということから、感染に気がついた頃にはすでに指数関数的な感染拡大にあり、それを止めようにも中々止められない事です。
今、家に居る人たちは「外に出られないストレスが…」と言いますが、そういった無自覚の無配慮のために医療現場の最前線へキャパオーバーを導いています。
きっと人間だから誰しも欠陥を持ち、またこの欠陥を永遠に記憶することもできず都合良く忘れてしまうのだと、悲しい現実に向き合わないといけないものだなと思いつつも、こういった困難から学び少しずつ成長していくのかもしれないとも感じます。
コロナ時代に学んだことたち
本書にまとめられていることは特筆すべき真新しいことは正直ほとんど無いです。
今まで起きたこと、またそれぞれのことが起きた時に著者の周囲の人々はどう思い、茶者事態がどう思ったのかが記されています。
第1章の、地に足をつけたまま、ではCOVID-19が感染拡大した時代背景について少し触れられています。
The epidemic is the ultimate proof of how our world has become globalized, interconnected, inextricable.
中国武漢で感染が発生してわずか数週間で爆発的に広まり、中国国内から日本、北米、欧州、東南アジアと世界中に広まりました。この背景は、人々や物の移動がシームレスになったグローバル化の影響だとしています。グローバル化の負の側面を学びました。
感染症の数学としてSIRモデルについても私達は学びました。SIRモデルというのは感染前(Susceptible)、感染中(Infected)、感染し免疫獲得者(Recovered)の3者に切り分け感染し免疫獲得者となるまでの間に感染中の人工がどのように変動するか計算した理論モデルです。
また、この感染症モデルから、R0という概念も学びました。
このR0はマルサス係数4とか基本再生産数とか呼ばれる. R0<1 ならばそもそもパンデミックは起こらず, R0>1ならばパンデミックが発生しピークに至った後は再び減少する.
COVID-19はR0が2.5程度あると言われています。麻疹は15、スペイン風は2.1程度であったそうです。COVID-19のケースではR0を下げるためには、SIRモデルに基づいて人との接触を減らすことです。
中国ではこの重要性を最初から理解し、かなり締め付けの多い隔離政策を実施していました。今振り返ると、世界に先駆けて情報のない中、かなり冷静な状況判断、政策実施されていたように思います。
わたしたちはこの統計モデルからどうすれば感染拡大を学べたと共に、また再発する可能性についても理解しました。SIRモデルで全人類が免疫を獲得しきるまでに隔離政策が緩和されると、R0は簡単に再上昇してしまうことを。
わたしたちは指数関数を学びました。パオロは指数関数の代表として運動エネルギー(E = 1/2mv2)について言及し、車の運転で速度が2倍になれば、事故の際の衝撃は倍ではなく4倍であることを例に、指数関数的な拡大をみせるウイルスに対して(頭で感じられる)想像よりも危険であることを知りました。
わたしたちはCOVID-19という感染症が接触感染を主に拡散されると学びました。病床の数に限度があること、他者に感染させるリスクがあることを理解しました。感染症の流行の間の団結力の欠如は感染に対する認識不足です。
わたしたちは、過去のどの時代よりも移動をしています。飛行機、電車、車ありとあらゆる移動システムが今回のウイルスの拡散を早めました。効率の良い生活の負の側面であると学びました。
わたしたちは、デマ情報がウイルスのようにたやすく拡散することを学びました。
Numbering our Days
キリスト教の言葉にこのようなものがあります。
Teach us to number our days, that we may gain a heart of wisdom.
わたしたちに自分たちの日を正しく数えることを教えて下さい、そうしてわたしたちに知恵の心を与えてください。
パオロは、日々数えられる感染者、死者、入院者、学級閉鎖の日、株式市場での損失、キャンセルされたホテルの部屋、などの数を数える行為から上の言葉と結びつけます。
Normality, however, has been suspended, and no one can foresee for how long. This is the time of anomaly; we need to learn to live with it, in it. We need to find reasons to welcome it, other than just our fear of death. It may be true that viruses have no intelligence, but they are better than us at this: they change, they adapt, and they do so quickly. We should learn from them.
Make better use of this time, use it to think about what our busy normality prevents us from considering: how did we get here, how do we want to start again? Number the days. Gain a heart of wisdom. Don’t allow all of this suffering to be in vain.
Giordano, Paolo. How Contagion Works . Bloomsbury Publishing. Kindle 版.
ウイルスは人間よりも早く変化し、適応しました。わたしたちはきっとウイルスからも学ぶべきでしょう。
2020年5月現在、以前として猛威を奮っており、GWに入っても相変わらずの緊急事態宣言です。
NYで猛威を振る中、日本では比較的感染者、致死者が少ないものの、医療現場への混乱は依然として続いている。
家にいよう(レスティアーモ・イン・カーサ)。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼(いた)み、弔(とむら)おう。でも、今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために。