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遠い山なみの光@ TOHOシネマズ| 石川慶(監督)、カズオ・イシグロ(原作) | 2025年映像・映画評#14

カズオ・イシグロ原作の映画、遠い山なみの光(A Pale View of Hills)を観ました。原作は読んだこと無かったのですが、観た後に原作を読んでみたくなったので今年中に読んでみようかなと思います。

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カズオ・イシグロさんは1954年生まれであり、長崎が出身になります。「遠い山なみの光」は第一作目の長編小説であり、彼の生い立ちに重ねたようなものになります。

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女優たちも超豪華。当時の衣装の再現もとても美しく、今年観た映画の中で一番好きな映画になりました。観た後にはパンフレットを買いたくなり久しぶりに映画のパンフレットを買いました。U-NEXTでパンフレットの内容と大きく重なる出演者たちのインタビューもあり全部観ました。

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あらすじ
  • 被爆経験のある悦子は団地に住み緒方二郎との生活を営む
  • 戦後の復興でみんな生き生きとしかしながらみんなどこか戦争の経験のショックを消化できずに居るようにも感じる
  • 舞台は1980年代の渡英した悦子の回想を娘であるニキが深堀りしていく
  • ニキには年上の腹違いの姉、ケイコが居たが自殺で無くし、その事もあったからなのか悦子は住み慣れ思い出の残る家を売り、翌月には引き渡しの予定である
  • 戦後の悦子は団地の川を挟んだ小屋に住み着いた、佐知子とその娘万里子と出会う
  • 佐知子は昔通訳をしており、朝鮮戦争の影響もあり米国軍人が滞在していたこともあり、米国軍人と恋仲にあるようである
  • 掘っ立て小屋の中にも紅茶を淹れ、悦子を招き話したり仕事の紹介など二人はお互いに自分たちが似ていることを認識していく
  • 緒方二郎は戦争から帰ってきた後に会社員となり、その父、誠二は長崎で教員を務めていた後に福岡で住んでいたが、二郎と悦子の団地に少し滞在する
  • 戦時中に教員を全うし、二郎が南方へ兵士として故郷を去る時に誠二が力強い万歳をしていたのを見て二郎は父誠二のことを遠ざけていた。さらには誠二に対して二郎の友人で教員が教育雑誌のコラムに誠二の事を名指しで批判している事に対して映画後半に面会し思いがぶつかりあう。
  • ニキ、佐知子、悦子はそれぞれ「女性が輝く時代」が来ると言い、「変わらないといけない」というセリフがキーフレーズのように出てくる
  • 佐知子は娘万里子が、「橋の向こうから女の人が来る」と良くいうことを虚言と言い、悦子はそうではないと言う。
  • 物語が進むにつれて、佐知子と悦子が実は同一人物であるということが分かってくる。その様子も後半になる度に回想の記憶が曖昧になっている様子が表現されており、佐知子が「数日後にアメリカに行くの」というセリフが「イギリスに行く」ことに変化していき、三人で稲佐山へ行った記憶が二人になっていた
  • 1980年の悦子がニキに対して回想していく長崎の物語。ニキは家にある悦子の昔の品々からその回想がどこかズレがあることに気がついている様子にもある。
  • 最後には、佐知子が渡英前の悦子であることが明かされる。
感想
  • カズオ・イシグロの記憶、回想と言うテーマがとてつもなく美しく描かれており曖昧な少しかけちがっているような物語の進み方が不思議な感覚を持たせていた
  • 広瀬すずさんに二階堂ふみさん双方の衣装と時代感がとても素晴らしい
  • 被爆した佐知子、二郎に被爆したことを隠していた悦子、万里子の腕に被爆痕が残ることが時代や、誰もが知っている被爆の経験をどこか触れずにそして未知の被害にそれぞれが恐れる様子が印象的であった
  • 国の教育方針を忠実に守り、長崎で校長までしていた誠二。その誠二に最前線へ行く際の万歳にうんざりしていた息子の二郎やその友人であり次の世代の教育者との対立は、大きな時代の変化に気持ちがついていけない人たちの葛藤が分かる
  • 団地からの景色、団地の部屋の様子などの時代が映し出されるセットを見るとその時代時代を記録していくことの大切さを感じる
  • アメリカへの希望を信じ続ける佐知子。スカーフにサングラス、凛とした様子。当時絶望的な技術の差を見せつけられた後に、街なかで見かけるようになった外国人を見て海外に行くことですべてが変わる、と信じる気持ちもとても良く理解できる
  • カズオ・イシグロがインタビューで「タイムレス」な作品であることが全部の作品に通ずるテーマと言っており、いつの時代でもみられる映画となって欲しいと感じた
  • 最近友人や姉の子どもと接する中で、自分の子ども時代がどうであったのか、両親や祖父母の生きてきた世界をどうであったのか、という思いが強くあった。その時にこの映画と似たような残していた品々から記憶を辿ることをしたり、ふと「くれよんしんちゃん」を見かけた時に小さい頃にとても熱心に見ていたことを思い出した。特に昔のものは自分の記憶ももちろんであるが、両親の記憶も曖昧になっていくことを感じる。ニキと同じように声や映像を残しながら、今年の年末年始の帰省時には昔話の語り具合を映像に残しておこうと感じた

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