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訪問記/書評/勉強日記(TOEIC930/IELTS6.0/HSK5級/Python)

2019映画批評#1 We Margiela マルジェラと私たち

Bunkamuraに行き"We Margiela"を観てきた。

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wemargiela.espace-sarou.com

www.youtube.com

予告版のナレーションの方の声がとても心地よくて気持ち良い。

謎多きブランドMaison Martin Margielaについてせまるドキュメンタリー映画である。

日本に来る前に世界で上映されていた映画で待ちに待った日本公演でした。

 

映画制作を行ったのはオランダのMint Filme Office。とても魂のこもった映画作りに感謝です。

2015 in production we margiela 5 years after margiela left his maison, we feel an era has definitely come to an end. in the international documentary we margiela we reflect on margiela’s body of work and his influence on the history of fashion. now, 25 years after his first show, themes as privacy, anonymity, fake, real, de- and re-construction, all part of the DNA of margiela’s work, are the keywords of our times. what do we learn about us and modern times by looking at margiela? / AVROTROS

 2015年の撮影開始からInstagramで撮影の様子が徐々に公開されているのも面白い。

 

いつかこの映画にまつわる土地を巡ってみたいものである。

 

さて、映画はというと、謎多きMargielaという一人のデザイナーが所属したブランドMaison Martin Margielaについての歴史を紐解いていくものである。

ストーリーはMargielaの黄金期を支えた中心人物へのインタビュー形式のものであり、特にMartin Margielaのマネジメントを支えた、Jenny Meirens(2017他界)の言葉はとても貴重なものであった。

アントワープで出会った二人は意気投合しブランドの立ち上げた。Margielaがデザイン、Meirensがビジネスサイドを担った。映画ではしばしば、この二人のどちらかが居なかったらブランドとして成り立っていなかったと証言されている。

Jenny Meirensは元々自身でブティックを経営していたため、商売としての知恵を持っていた。その一方、Margielaはデザインに没頭し経営には何一つ興味が無い性格であったようだ。それぞれのアイデアは深く結びつき、Jenny MeirensはMargielaの魅力を誰よりも引き立たせ、今では代名詞となった”白タグ”の考案者でもあるようであった。

初期こそマスコミの前に現れていたMargielaは突如マスコミの前に立たなくなり、撮影は手のみ。当時、デザイナーはブランドの顔として誰よりも目立つ存在であった中、その隠された存在の不思議さ、一方で際立った特徴を持つデザインに人々は魅了されていく。

黄金時代と言えるのはブランド創設の1988年から数年であっただろう。スタッフは全員白の白衣を制服とし、家具は白い布で覆われ、壁は白く塗られた。映画内でMeirensは白のスクリーンは自身を映し出すだろうと言う。社内は一体感があり、まるで家族のようにそしてBlack or White、Yes or Noというようにはっきりとした意思を持つメンバーで構成されており、のめり込んで制作をしていたようだ。

集合写真の中央には、一人だけ制服でない女性、彼女がMeirensであり、その隣の席はMargielaのためのスペースであった。カメラマンが大声でMargielaを呼び最後のチャンスだから気が変わって来るなら今だぞ、と呼びかけるなど時に面白いエピソードもあった。

黄金時代と感じれる、自身の好きなものを好きなように作る時期のピークには、不思議な魅力に大衆が取り憑かれ、マスコミも多くを期待するようになり、組織体制も非常に大きくなってきてしまい、状況が少しずつ変化していく。

それは成長の過程とも捉えることができるが、多くのプレッシャーや雑音はブランドスタッフに疲弊を呼び込んでいた。

ビジネスとして儲けを考えないスタイルを辞め、2002年にブランドはディーゼルへ売却。その時の買収額によりMargielaは自分で行ってきた制作の結果を知ることとなった。一方で、噛み合わなくなった歯車は結果としてJenny Meirensをメゾンから失うことになった。

さらに、Martin Margielaは2009年のショーで完全に姿を消す。世界中で展示会を行う中で大衆はMargielaの魅力に興奮し、その神秘性を称賛した。一方、人々がMargielaのアイデアと思うような一風変わった展示スタイルは実はMargielaが考えたもので無かったということがあったようで、その度にブランドとしてマスコミへの声明に"We"として意見を伝えていた。”We”にはMargielaはきっとこう思っているだろうけど、という事や、ブランドとしての回答であり一人の人間の回答でないという意図、単純に責任を曖昧にするというような意思が含まれていたようである。

様々な独自のスタイルはきっとMartin Margielaが育てた文化そのものであったのだろう。

多くは語られてこなかったブランドについて撮られた貴重な記録となる映画であることは間違い無い。

はじめての海外旅行にフランスを選び、とても緊張した路面店訪問は良い思い出である。その頃はこのような歴史も全く知らず、全盛期と思われる時期が過ぎていた事を思うと少し寂しい思いはあるものの、新しい価値観の提示をしてくれた全ての制作に感謝するとともに、この記録を残した全ての方々に感謝したい。

 

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参考)

www.maisonmargiela.com

www.dazeddigital.com

ja.wikipedia.org

www.nssmag.com

www.forbes.com

xn--bckr3bb3dvf5dpb2bxe.com