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SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。 | フィル・ナイト (著), 大田黒 奉之 (翻訳) | 2022年書評#20

NIKE業物語のシュードッグを読みました。

 

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📒 Summary + Notes | まとめノート

オリンピックでは多くの選手がNIKEのシューズやウェアを着てプレーし、NBAMLBなどでも多くの選手が用いるスポーツブランドです。

アディダスやプーマから後発のNIKEがどうやって始まったのか、創業初期のオニツカタイガーとの物語から始まりオニツカタイガーとの袂別れの話がとてもおもしろく刺激的なストーリーでした。

NIKEの夜明け

フィル・ナイトはオレゴンの陸上選手であり、スタンフォードMBAを取得します。スポーツへの情熱に加えMBAで靴のレポートを書くほど靴への情熱を燃やしていました。

異国の地への好奇心を持つフィルはある日世界旅行を思い立ち、親からお金を借りて旅行へとむかいます。この旅の目的は文字通り世界旅行で様々な見聞をつけることでしたが、日本のシューズメーカー、オニヅカタイガーへの訪問及びアメリカでの販売権を取得しようと計画します。

アメリカ本土を旅立つとハワイから東京へ移動し、米兵から日本でもビジネスにおけるアドバイスを受けます。その後オニツカへ電話してアポが取れたため神戸へ移動。オニツカでの打ち合わせの場を持つことができその場でとっさに思いついた「ブルーリボンに努めているフィル」と自己紹介したことで会社名が決まりました。その場で代理店契約を勝ち取り50ドルの前払金を父親から振り込んでもらうよう頼みます。

その後フィルの世界旅行は続き、香港、フィリピン、バンコクなどを通じパリやミュンヘンを旅行しアメリカへと帰国。代理店契約を取り付けたもののシューズは中々送られてこないため会計事務所で働き始めます。

NIKEの共同創業者でオレゴン大学時代の恩師ビル・バウワーマンにやっと届いたオニツカのシューズをみせるとバウワーマンはぜひ創業メンバーに加えてほしいと言いブルーリボンが始まります。

バウワーマンの影響もあり靴は順調に売ることができ、再び日本へ行くと鬼塚氏とも面会。日本で富士山に登ると世界旅行をしている女性サラと出会い、その後二人は付き合うことになります。

ビジネスは順調でパートタイムでジェフ・ジョンソンも加わります。ジョンソンはフィルへ毎日のように手紙を送りフィルは返信しようと思っていると次の手紙が来るものだからもう返信を諦めます。すべてうまく行っている一方で、銀行からは急成長するビジネスは安定感に欠くということで、飛ばしすぎないようにとのブレーキが入るほどでした。

バウワーマンの功績

NIKEの代名詞ともなったワッフルシューズはバウワーマンの功績です。バウワーマンはオニツカと蜜に開発のやりとりをし、自身のコーチの実績や自身による靴改良などで生まれたアイデアをオニツカへとフィードバックし様々なシューズを生み出します。

www.businessinsider.com

バウワーマンは後にジョギングの本を出してヒットするほどにランニングに情熱を燃やしていました。

ブルーリボンの成長とキタミの登場

ブルーリボンはオニツカのアメリカにおける販売を成功させている一方で、資金繰りは中々良くなりません。オニツカの注文もタイムリーに発送されなかったことも多いようで、発注と違う品物が届くこともしばしばだったそうです。

フィルはある日他の代理店がアメリカでの販売を始めているとの噂を聞きつけ、日本へ再度出張へ行きます。そこで出会ったのは以前とは異なる担当キタミ。後に裁判で争うきっかけとなる人物でもありました。

キタミとの会議でフィルは東海岸への展開を約束し、予定もない事務所設置も進行中と嘘をつくことでオニツカとのより大型の契約を取り付けます。ここで、西海岸の販売を担ってきた手紙魔ジョンソンは東海岸へ移動させられ、新しいメンバーであるボークが西海岸を担当。このころにはバウワーマンからの紹介でさらにメンバーが増えます。

その後会社は引き続き成長は続けるものの、会計事務所の仕事とブルーリボンの忙しさをカバーする事ができないため、大学での教授助手の仕事を始めます。

そこでは後に結婚するペニーが生徒としており、ブルーリボンのバイトを打診しました。大学の授業では理想的な会計バランスを説明するもののブルーリボンは理想から程遠く、急成長による安定しないバランスシートは続きます。

その後、ペニーとの結婚が決まった後に再度日本へ出張しキタミは相変わらず窓口として活躍。一方で後にキーメンバーとなるフジモト(キタミのスパイ)とはこの時出会います。

オニツカとの裁判へ

バウワーマンの影響も大きく個人契約は無いもののオニツカはいよいよオリンピックの舞台で使われ、メキシコシティオリンピックではオニツカ氏自身が現地を訪問しました。途中でロサンゼルスを訪れブルーリボンと会談。その時期から、キタミの動きに違和感を覚えフジモトをスパイとして情報を提供してもらうことになりました。

銀行からの融資は限界があり、売上に応じてスケールしたい一方で、オニツカとの契約機関も中なか思うように延ばすことができないため資金繰りに苦労します。その時に出会ったのが日商岩井で今のNIKEがあるのは日商岩井のおかげと言っても過言でもないほどのサポートをすることになります。

話はキタミに戻ると、ある日東海岸でオニツカが新しい代理店契約を結ぼうとしているという情報が入ります。キタミはその後すぐにアメリカを訪問しており、代理店候補をめぐろうとしていたようです。

キタミはブルーリボンの融資元の銀行との会談へ同席すると「なぜもっと資金提供できないのか?」と銀行へ敵対的な態度をとりブルーリボンの心象を悪化させます。「ブルーリボンの売上には失望している」とキタミは言い不満を示したためフィルの疑心は拡大。キタミのブリーフケースから旅程が書いてあるメモを抜き出しショックを受けます。

その後、代理店候補めぐりを終えたキタミは旅の最後にまたブルーリボンを訪問すると今度は「51%経営権を買い取る」という提案をはじめました。バウワーマンと相談が必要ということでその場では判断せずにオニツカとの別れを視野に入れ始め自社ブランドの創設へとむかいます。

日本やメキシコの工場を訪れ靴製造元を探し、また若きアーティストであるキャロラインデヴィッドソンはロゴをデザインします。ここでブランド名がNIKEに決定し新たな旅立ちとなりました。

前述したワッフルシューズはここでバウワーマンが開発します。

NIKEの活動を聞きつけたキタミは突然来訪し、ボークの居る店舗へ行くとオレンジ色のNIKEボックスを見てキタミはフィルの裏切りを確信。ここでオニツカとの縁切りを決心します。

後にオニツカは日本で裁判を起こし、フィルもアメリカで裁判を起こします。裁判は苦しんだものの紳士に証言を重ね、一時は負けを感じたものの結果はフィルの勝訴。「ボストンとコルテッツ(靴商標)の商標を今後保持」「ブルーリボンの損失」「オニツカの商標不正使用」が認められる結果となりました。この時裁判の弁護をしてくれたストラッサーは後にNIKEのメンバーへとなりました。

NIKEを履いた選手の活躍

最初にNIKEを履いた選手が活躍したのはプリでした。彼は後に自動車事故で亡くなってしまう悲しい結末がある一方で、NIKEを履いて活躍した選手の第一号でもありました。

www.runnersworld.com

nike.jp

プリは契約金で黄褐色のMGを購入。後に事故死した際に運転していた車でもありました。

資金の凍結と日商岩井の救い

大きくビジネスが拡大するNIKEではいつも資金繰りが問題でもありました。その中で銀行の資金が凍結し小切手での支払いがとまります。ここで日商岩井に救いの手を求め、日商岩井は素早くNIKEを監査し資金提供が可能か確認。

この資金凍結を受けて顧客がFBIへ連絡したことや、大口債権者がNIKEの本社まで向かうなどの混乱の中、日商が救いの手を差し伸べ資金提供します。これがなければ今のNIKEはなく資金ショートして潰れていた可能性すらありました。

脱日本生産

当時日本で格安で製造できていたのは為替の理由もありましたが、固定為替制度が撤廃され、日本にて大規模な製造をする際のリスクが増大してしまいます。そこで台湾へ拠点拡大するとともに、多くの製造需要も満たしていきます。

その後、当時アメリカの大企業と取引がなかった中国とも、政府を通じ交渉をすすめ製造拠点を獲得することにもなりました。このときのストーリーも中々面白く、中国へ行く前に中国に関する本を読み知識をつけ、政府の案内人と一緒に中国全土を巡航。天安門広場に連れて行かれ毛沢東の肖像を見たり、老朽化して崩れそうな工場の中にある製造工場、19時間の電車旅で車窓内でパンツ一枚で暑さを凌ぐ人々の様子。最後に中国の陸上競技チームとの契約も取り交わし、中国の選手たちが初めてアメリカメーカーのウェアとシューズを身にまとうことに繋がりました。

最後に

まとめたもの以外にも細かいストーリーはとてもおもしろく、またフィル・ナイトのスポーツへの情熱、シュードッグという靴狂いぷりをまとめた刺激的な本でした。

株式公開へ向けて動き出しアップルと同時期に公開したことなど、今現在でも世界で最も活躍する2社が同じスタートを切っていたことは驚きです。

スポーツ選手との思い出話も色鮮やかにかかれており、プリやマッケンローなど大物選手と契約は特に思い出深かったようです。

また、輸入関税の制度ができた際に講義したことなど、障害は出てはなんとか解決し、の繰り返しでビジネス創業のエキサイティングさを感じることもできました。

何よりNIKEが日本とここまで関係が深く、オニツカタイガーとの軋轢があったことなど知らなかったため、驚くとともに、ポテンシャルを多く含んでいて日本企業が世界に出るチャンスを自分たちで潰していたことも残念ではありました。日本の市場だけでなくより大きな市場へ挑戦するというのは当時よりハードルは高かったものの、逃した魚は大きいように思います。

一方でNIKEの創意工夫やマーケティングは今でも一貫しておりスポーツへの情熱を感じさせるものが多くあり、その情熱があるため良いものを作り人々を魅了してきたのだとも思います。ワッフルソールやエアソールはNIKEが開発し双方ともNIKEの代名詞となりました。

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