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すずめの戸締まり | 2023年映像・映画評#2

久しぶりに海外出張があり、やっと話題になっていたすずめの戸締まりがあったので見てみました。映画は好調で興行収入が記録を出している一方で日本の中の評判は前回2作よりも良くないように感じていました。

評判に関してはなんとなくアップテンポの曲や起伏が少し少なかった物語からだとは思いますが個人的にとても印象深い映画でした。

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2011年の震災が描かれているのですが、忘れないように今しないといけないという思い出作られたということを語られています。

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映像美 

どの作品でもそうなのですが今回も映像美が素晴らしく、実写の映像でもよく使われるような手法が至る所に使われていました。細かな描写もとても綺麗ですし、空の綺麗さも毎回の作品で印象的です。

タイムラプスの手法も印象的に活用されていますし、風で揺れ動く自然の様子なども美しいものばかりで物語をより魅力的にしていました。

ストーリー

ストーリーは震災で母親を失い、母親の妹の元で生活拠点も東北から九州へと移した高校生の女の子と扉を閉じることで震災を食い止める役割を担っている大学生の男の子からなります。

その中に震災との向き合い、40代の女性の子育てをしながらの恋愛の難しさなど社会問題となるような課題についても降り折り混ざりながら話が進みます。

日本の伝統や文化などの土地に対する考え方、要石と呼ばれるもの、後ろ戸やミミズが地震を起こすなど少し形を変えた表現なども含め興味深いものでした。

向き合うことや忘れること、犠牲にすること

すずめは被災者でありながら、日記に黒塗りにしているように記憶から消そうとしていた震災での母の死。母親の妹に大切に育ててもらいながらも双方ともどこか正直になれず負担に思われているのではという思いの打ち明け。

すずめがなぜミミズが見えるのかという事に対してきっかけとなる土地に行きなさいと言われて向き合うことをします。

さらに印象的だったのは要石と呼ばれる責務を行うと自分の生活が失われ、物語の最初に猫のダイジンから草太へと役割が移った所、最後にはまたダイジンが引き受けることになり犠牲になります。

 

つらい物事があったときにそれと向き合うべきなのか、よく考えないことや忘れることで時間や記憶の薄れに助けてもらいながら昇華していくのかというのはどちらもあって良いものだと思います。

戦争や災害に対して歴史事実として忘れてしまうべきものではないという思いはありますが、世代が代わる事によりその物事の当事者が亡くなっていくことで記憶が薄れることは自然な事であると思います。

当事者でなくなる世代に対して押しつけ的に刷り込んでいくというのもあまり良いものと思えないですが、年に一度ほど思い出すことであったり、情報にアクセスできること、物語やコンテンツとしてタッチポイントを用意しておくことも素晴らしいことだと感じます。

 

コンテンツにするのであれば記憶が新しいうちに、その世代が残っているうちに形にしておくことが重要に思うため、新海誠さんの意思やコンテンツへの落とし込みはとても社会性のあるものだと思いました。

一方で思うのは、今でこそ歴史を理解しておくことの必要性を感じて興味を持っていますが、興味がなかった学生時代に年度行事のように繰り返される戦争番組や震災セレモニーに対して少し虚無的感覚を覚えていました。

どこかこれやっとけば良いというようなコンテンツづくりに感じてしまうものであったり、暗い雰囲気が漂うものばかりで受け取り手の顔が見えていないような印象でした。

 

物語の最後にまた犠牲者となった要石のダイジンの役割についてはどこか虚しく現実でもこういった役割があることについて悲しくなるものでした。

一度はすずめの無知により開放された役割をすずめが美しいと感じていた草太へと移したのですが、最後はすずめの思いを推し量りまた自身が要石になると、再三戻りたくないと言っていたのにも関わらず戻る運命をたどります。

 

感想

映像も美しくテーマも興味深く、伝統などの考え方にも触れられる面白い映画でした。美しいと感じるものに触れられるというのはとても気持ちの良いものでしたし、映像美がもたらす作品への効果が存分に感じられます。

美しい物事であることによる受け入れやすさというものを感じます。

 

少し寂しく感じたのは犠牲となったダイジン。草太が要石となったことにより自由になり、何度も戻らないとあっさり対応していたのに、すずめに振り向かれなかったことにより要石としての役割に戻り犠牲者となりました。

世の中は成功者が居ると犠牲者もあります。戦争でもそうですし、生活レベルで言うと部活などの試合でもそう。ビジネスでも成功する会社やイノベーションを起こす人たちが居る一方で、犠牲者と言うのか分かりませんが倒産する会社もあります。

同じ犠牲者でも震災などの犠牲者とは明らかに別のものであり、戦争の犠牲はしわ寄せといえるものに思います。ダイジンのように自ら受け止めて犠牲になることや、抗えない運命を受け入れ戦地へと向かわなければいけない、明らかに家庭環境が悪い中で生きていかないといけない、安く売るための服作りをしなければ生きていけないなど、世の中に犠牲者が必要であるという現実もある。

 

答えは持てていませんが、見終わったあとに不可逆性の犠牲者にならざるをえない時に自分はどうするのだろうかと思いました。意識的に緩やかに犠牲者を回避するというのも一つの手だと思いますし、犠牲者になった事実に抗わずに受け止めて死に向かうという状況も時と場合によってはあるのでしょう。

 

そういえば音楽は毎回ながら美しいものでした。

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