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マインクラフト 革命的ゲームの真実 | 史上最も遊ばれたゲームの開発ストーリー | 2020年書評#10

2020年5月現在、マインクラフトというゲームは売上でどのゲームよりも高い位置につけています。

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この最も遊ばれているゲームは任天堂ソニーでもない一人のエンジニアが作り上げたというのですから驚きです。

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バイラルによるコストレス広告

マインクラフトの成功について語られているYoutubeがあります。探索する楽しさ、創造する楽しさ、サバイバルする楽しさ、自由な点が魅力的だと言います。ゲームの操作事態はとてもシンプルなのもゲームする側の自由度を広げています。

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マインクラフトで作り上げた建築物を見せ合うようなことも流行り、マインクラフトは実質広告費ゼロで多くのユーザーを掴むことに成功しました。 

また、スウェーデンフィンランドを始め、教育現場にも多く利用されています。子供に親和性の高いツールを用いてゲーミフィケーションを活用すると集中力も保ちやすく、その中に教育コンテンツを上手く入れ込む事でゲームする感覚で学習できるのはとても素晴らしいですよね。

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マインクラフト以前のノッチ 

マインクラフト開発者のノッチことマルクスさんの開発までの流れはどうだったかというと、波乱万丈です。

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父親と妹は薬物依存で家庭内は喧嘩が日常茶飯事。母親のリトヴァはマルクスがコンピューター言語を学ぶのを後押しマルクスは小さい頃からゲーム作成を楽しんでいたようです。

最初に努めた会社はゲームフェデレーション社。ゲーム配信システムの開発をし、IBMコンサルタントをしていたロルフと共にエンジニアとして働きます。その後、ゲーム会社であるミダスプレイヤー社でやっとゲーム開発に携わります。2〜8人のチームで4ヶ月以内の開発機関。コストを安くゲームを開発する事が重視される中でマルクスは憧れのゲーム業界で自身がやりたかったゲーム開発とのギャップを感じ始めます。

ミダスプレイヤーの中で社内規定で「独自にゲーム開発をし金銭報酬を得ては行けない」という決まりはあったもののマルクスは趣味でゲーム開発をしていました。

社内で出会ったヤーコブとゲームのアイデアを語りあい、ある日自身で開発したゲームのフィードバックを得ようといつもどおり社内に試しに使ってもらおうとメールした所、ついに経営陣から呼び出されてしまいます。

自由時間の使い方も規制し、またゲーム開発の理念も異なる事から、jアルブム社へ転職を決意します。jアルブム社はマルクスに対して自由時間に何をしても、定時に会社へ来て成果を出してくれれば良いという条件で雇用を認めてくれます。マルクスにとって一定の収入を得ながら、自身で試してみたい事が多くあったゲーム開発を続けられるという環境が作られました。

マインクラフトの開発

jアルブム社に転職をしたマルクスはゲームのアイデアを探します。

その中でマインクラフトのベースアイデアとなるゲームDwarf Fortressに出会います。

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グラフィックが単純化され、エンドレスな物語はDwarf Fortressからインスピレーションを得たそうです。

また、マルクスがハマったゲームに「ローラーコースタータイクーン」「ダンジョンキーパー」がありそれらからもアイデアを得ます。ローラーコースタータイクーンは遊園地経営のゲームであり、複雑なコースターを作る想像力、ダンジョンキーパーでは未知の土地を開拓していく冒険心が刺激されました。

マインクラフトの開発中に見つけた「インフィニマイナー」というゲームでアイデアはほぼ固まります。マルクスはこのゲームにとても魅力を感じ大ヒットを予想しましたが、不運な運命をたどります。開発コードが公開されたこのゲームでは、作者が意図しないバージョンチェンジ版が無数に生み出されてしまいます。そして互換性のあるバージョンでは対戦ができないという欠点によりゲームの拡がりは縮小していきます。マルクスはこの様子を見ることから、ゲーム開発に参加できることの価値を実感し、管理しながら誰にでもゲーム開発をできる環境を整えます。

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プレ公開をしたマインクラフトは開発者の中で大きな話題になります。ゲームをした人にたいていより早いフィードバックをお願いし、ゲームの改良を進め一般公開までに修正を重ねます。

ベータ版公開に向けて、マルクスは有料で出すことを考えます。当時フェイスブックやグーグルで主流だった無料で提供し広告収入にすることやアングリーバードなどで見られた課金性を無視した判断です。

その判断理由に根拠はなく「自分だったら払う適正価格」をつけてリリースします。毎日20本売れたら月給と同じぐらいになるからマインクラフトの開発に専念しようと考えて。

マインクラフトの大ヒット

マインクラフトのキャラクターは実写とは程遠いものですが、ある程度実写まで近づきすぎると些細な違いが気になり不気味に感じる「不気味の谷現象」から遠いものになり人に取って受け入れやすいキャラクターです。

チクセントミハイのフロー理論やシモーネキューンの実験結果などからなぜマインクラフトがヒットするのか検討され、想像力を持って目標設計できる自由度、またゲーム内で探索を存分にできる設計がウケ、ハードなゲーマーの枠を越えて広まったのではと言われている。

大ヒットそしてモヤング社設立

予想外の大ヒットをした後、その噂は知れ渡り、ついにアメリカにあるバルブ社からマルクスへのオファーの相談が始まる。

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ゲーム開発社なら最高の職場であり、マルクスは本社訪問を打診され現地へと行きます。面接をする中でマルクスはマインクラフト開発への決意を固め、オファーを断り、ついにミダスプレイヤーでの同僚ヤーコブを誘いマインクラフト開発へ人を誘い専念することを決意しました。バルブ社との面接までの間にソフトの売上が好調だったこともこの決断を後押しする材料でした。

マルクスはjアルブム社を辞めたものの、ヤーコブと二人のプログラマーだけで会社経営するのは問題が起きると考え、jアルブム社社長のカールに相談します。カールの人柄もありカールが会社メンバーになり3人でモヤング社が起こされます。これはjアルブム社が赤字経営だったことや、最初から潤沢な資産を持って経営に参加できるというカールにとっても良い機会でした。

ゲームの枠を越えて

マインクラフトはその後も順調にヒットを続けます。マインクラフトの動画はYoutubeに投稿されスレッドが沢山立ち並び、コミュニティが拡がります。

また、教師たちがマインクラフトを授業に使えるように教育版としても改良をしたものを開発します。

こうなるとただのゲームの枠を越えてマインクラフトを通じて多くの人が繋がり、学習するというツールに育っていきます。エデュテイメントと呼ばれる領域でしょう。

大企業病になるのを避けるために、開発はピザ2枚を分け合える人数で行うなど工夫しながら会社運営が行われていきました。

本出版の後の物語

さて、これだけ順風満帆であったモヤング社ですが、今現在はマイクロソフトに売却され傘下に居ます。3人の創業者は退職しています。

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会社経営する中で有名なVCショーン・パーカーからの出資も断り、理念を貫いてきたのですが一体その後何があったのでしょうか。

マインクラフトはクラシック版をリリースし以前として最も売れたゲームの位置を譲っておりませんが、開発当時の思いと少しずれてしまっているのかなという印象もあります。

ただし、ノッチがこのゲームを開発した事実は変わりません。一人のプログラマーが開発に携わりリリースし多くのユーザーを虜にするのはとても興味深い話であり、これだけスケールするのは今の世の中の夢でもあります。

その開発背景には、ノッチの強い思いがあり会社で働きながらもサイドプロジェクトとして熱意を持って様々なゲームからインスピレーションを取り入れ開発した経緯はとても興味深いものでした。

どことなくLinux開発秘話と似ている気がします。

シンプルな操作、創造性が発揮できる自由度、創作物をシェアできるコミュニティ、冒険心をくすぐり、エンドレスなストーリー、ユーザーも開発に関われる要素、教育への応用など、無限に広がるゲームの幅は大ヒットを支えた要素になるでしょう。

情熱と理念を持ってなにかに取り組み続けることの大切さを思い出させてくれる本だと思います。