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イスラエル 人類史上最もやっかいな問題 | ダニエル ソカッチ (著), 鬼澤 忍 (翻訳) | 2023年書評102

ウクライナ戦争があり、気がつけばガザ地区近辺でイスラエルハマスとの戦闘がありいつの間にか戦争がどこかで置きているということが日常になりつつあります。毎日なんとなく聞くニュースの中で、旅行したことがイスラエルという国でなぜ戦闘が置きているのか。

ネタニヤフの過激な発言が目立ち、事情を知らない素人ながら国家指導者がこんな発言してるのヤバくないかと思い見ていました。

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今回のきっかけとなったハマスの奇襲攻撃は許されるものではないと思いつつも、以前から行われているイスラエルの入植行為は国際的に認められておらず、住居を何回も追い出され、その暴力行為についても当たり前のように合法とされる判決が出ています。報復行為は何十倍もされ、ハマスの代表者はガザから離れており一般市民がその弊害を被るという状況です。

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本書はユダヤアメリカ人が書いており、その立場がありながらも冷静に現代のシオニズムへの指示離れ、アメリカに居るユダヤ人の応援感情の低下など紹介されながら歴史を認識する事ができます。ユダヤ人が書いていますがフェアな論点が多くバランス感覚のある内容に感じます。

📒 Summary + Notes | まとめノート

イスラエルの始まり

ユダヤ人の想像の中にイスラエルという概念が初めて現れるのはヘブライ語聖書においてです。紀元前にヨルダン川西岸にあるシェケムにおいて居を定めると、その後ネゲヴ砂漠のベエルジェバ近くに落ち着きます。出エジプト記によればナイル川からユーフラテス川までのすべての土地を与えているが、ヨシュア記ではカナンのみ。これらは現在のガザ地区など含まれイスラエルが入植により土地拡大をする理由にもなります。

紀元前63年にはローマがやってきたためユダヤはローマの属国となり現在のエルサレムユダヤ人の王であるヘロデ大王は神殿を建設しました。しかしユダヤ人はローマに対して反乱を起こします。これが失敗に終わりエルサレムは陥落。ユダヤ教の儀式は禁止され、エルサレムはアエリアカピトリナと改称されます。追放されたユダヤ人はこの後各地方へ散り散りになります。

北アフリカ、ヨーロッパへとうちリスんだユダヤ人の暮らしは楽なものではなく、ユダヤ人強制集住地域に集まってクラス生活となります。

19世紀末にはヨーロッパのユダヤ人達への視線は厳しくなり、キリスト教会を基盤とする人たちからはユダヤ人嫌悪が起きます。1880年代、ヨーロッパで暮らすユダヤ人たちは迫害を逃れてパレスチナへ移住する動きが始まります。シオニストの考えはこの頃から始まります。そのきっかけとなったのはフランス陸軍大佐のユダヤ人ドレフュスがドイツのスパイとして起訴され、潔白であったのにも関わらず独仏戦争の敗北の原因とされたからでした。

シオニズムの父とも呼ばれるジャーナリストのヘルツルはユダヤ人国家という小冊子を下記、ユダヤ人の民族自決というビジョンを示します。シオニストの中にも様々な考えがあり、著者自身は「イスラエル国家建国宣言」にうたわれるリベラルなビジョンを支持している。

現在のパレスチナは様々な民族や宗教が入り混じってできた土地であり、ユダヤ教キリスト教イスラム教の人々がヘブライ語アラム語アラビア語を話生活してきました。パレスチナの人々の祖先にはユダヤ人も居ます。

第一次世界大戦

第一次世界大戦後にイギリス政府はユダヤ人に土地を与える声明を出し、パレスチナにその土地を構える事が好ましいとします。(バルフォア宣言

元々住んでいたパレスチナ人やアラブ人にとっては嬉しくないニュースです。平和的共存を望む人が少なくない一方で、今まで自分たちの土地にユダヤ人たちは移住してよいという方針はユダヤ人が定住し自分たちの国家を樹立するという野望を持っている事を恐怖とともに見守りました。

1993年のヨーロッパでは半ユダヤ主義者であるヒトラーがドイツ首相に就任し、ヨーロッパ全土そ制服し望ましくない者、つまりユダヤ人や社会主義者、同性愛者などを根絶やしにするという企てが起きます。

アラブ人の土地を奪うユダヤ人たちの間の対立感情も高まり、ヨーロッパに居るユダヤ人は移住に対して足踏みしていた一方でヒトラーによるユダヤ人根絶の恐怖と板挟みにされます。

後にイスラエル創設宣言をするベングリオンヒトラーに対抗するイギリスを支持する一方で、パレスチナに居るユダヤ人の好戦的なイルグンは反イギリス派の間でも対立が生まれます。この間、パレスチナのアラブ人一族のアルフサイニーは反ユダヤ主義的心情をからナチス政権のベルリンにてヒトラーと手を組みました。

第2次世界大戦が終わるころにはナチス戦争犯罪は明るみになり、ユダヤ人への同情は大きくなります。パレスチナへのユダヤ人移住活動は加速します。パレスチナを支配していたイギリスは第2次世界大戦ですっかり疲弊しており、パレスチナの治安は悪化。ユダヤ人とアラブ人の対立は激しさを増します。

1947年にはユダヤ人が1/3、アラブ人が2/3の人口構成になり、イギリスはパレスチナから撤退し国連へ責任を譲ろうとします。ここで国連はパレスチナを2つの国家に分割するよう勧告。しかりアラブ人たちは周辺のアラブ国家とともにこれを拒絶します。国連は決議を行い33票対13票で分割して国家建設を採択し、パレスチナユダヤ人は喜びます。アラブ人たちは抗議し戦争へと進みます。

1948年にはベングリオンイスラエルの独立宣言を実施。アメリカはすぐさま承認し世界中のユダヤ人は歓喜します。一方でアラブ人や周辺国家としては納得できるものではなく、独立宣言翌日から戦闘が始まります。

入植、土地拡大、ユダヤ国家

イスラエルはアラブ人が住む街を攻撃し、自身の正義を元に土地を拡大していきます。アラブ人を追い出した街は地図から消され、イスラエル人のコミュニティが建設され、追放されたアラブ人たちは故郷を失います。この動きをユダヤ人がヨーロッパで受けた迫害と重ねる発言もありました。(ゴルダ・メイア

イスラエルの建国当初、国家主義という考えを元にビートルズの国内ツアーを禁止したり、1960年代は西欧からセックス、酒、ロックンロールという悪い風が来ないように規制をします。

エジプトでは反イスラエルプロパガンダが拡大し、為せるはイスラエル侵入にゴーサインを出します。ソ連はその背景でエジプトやシリアに武器を提供し、一方でフランスやアメリカはイスラエルへ武器を提供し冷戦のパターンが生み出されます。争いの対象となったスエズ運河シナイ半島は交易の重要な要であり、エジプトが支配するとイギリスはエジプトの空軍基地を攻撃しエジプトが撤退。その隙にイスラエルが支配します。これを支えていたイギリスとフランスの動きをアメリカは強く非難しこの圧力によりイスラエルは軍を撤退。

1964年にはナセルの後援を得てPLOパレスチナ解放機構)が設立。周辺のアラブ諸国がこれを応援する形となります。ゴラン高原では戦闘が増え、シリアが後援するファタハパレスチナ戦闘員がイスラエルへの侵攻をします。

ただし、エジプトとヨルダンはこのファタハの動きを認めておらず、これを後援していたシリアはエジプトの事を臆病者であると非難するなど、パレスチナ応援側においても軋轢が生じていました。

この混乱をかき回したのはソ連でした。ソ連はエジプトにイスラエルがシリア国境に兵力を集中させていると情報を提供したが、実態はそうではなかった。ナセルはシナイ半島から国連の撤退を要請。ソ連から帰ってくるエジプト軍の陸軍大佐は戦争となった場合はソ連が支援すると嘘を伝えるなどありエジプトは好戦的な姿勢となります。

当時のイスラエル首相のエシュコル首相はこのエジプトの姿勢に対抗しようと国内でスピーチをしましたが、口ごもるなど自信がなさそうで国民は不安に駆られます。この後6日戦争へと突き進みますが結果としてイスラエルが圧勝。

イスラエルはヨルダンフセイン国王に対して参戦しないよう伝えていたものの、ヨルダン側はここで参戦しないと市民、アラブ諸国が許してくれないということで、後に間違いだとわかっていたと語りながら参戦し、イスラエルはこれにより東エルサレムの地域を逆に支配下に置くことになりました。

これにより地図は大きく塗り替えられガザ地区シナイ半島ゴラン高原ヨルダン川西岸をイスラエルが実効支配することになります。

LIFE Magazine June 23

引用:https://www.originallifemagazines.com/product/life-magazine-june-23-1967/

1967年国連は紛争で占領された領土から撤退することという決議を出し、現在に至るまでこの決議を拠り所にされています。

六日戦争はイスラエルの土地を3倍もに拡大させる、最も影響が大きかった戦闘でしたがその発端は不手際、虚構が入り交じるものでした。

サダト、カーター、ベギン

イスラム圏出身のユダヤ人であるミズラヒの支持を得たベギンがイスラエルの首相になるとエジプトとの和平の道へと進みます。アメリカは中東和平を名による優先していた時期で、カーター大統領は壮大な地域和平案を思い描いていました。カーターのはからいもあり、サダトとベギンはキャンプデイヴィッドを訪問。1978年、ベギンとサダトは時刻の戦争を終結させた功績によりノーベル平和賞を受賞します。

ただしこの後イスラエルによるヨルダン川西岸の入植は止まらずにむしろ加速していきます。イスラエルグリーンラインを越え、パレスチナ人によるインティファーダは投石などにより抗議。ラビン国防相は骨を折れなどと指示します。パレスチナ川の学校や大学は封鎖され、電気や水道を止める。イスラエル兵が丸腰のパレスチナの若者を殴打する映像などが世界に出回るとイスラエルへの視線はネガティブなものへと変化していきます。

1993年になると次の動きが起きます。PLOアラファト議長イスラエルのラビン首相はオスロにてDOP合意をします。(オスロ合意)ここで互いに平和へと向かう姿勢が見られました。この解決策は二国家解決です。

エジプト、ヨルダン、パレスチナと和平調整が進められ誰しもが平和な中東の未来を見ていました。

ここで動き出したのがイスラエルリクードです。入植地や占領地からの撤退に対して強く反対します。和平交渉は大事であるが、我々の求める条件通りであることが条件であるという考えです。「いかなる形であれ平和的解決」という視点は許せるものでは無いものですが。ラビンは裏切り者とされ、反オスロ合意のネタニヤフはラビンを批判します。

結果として大学の法学生アミルによりラビンは殺害されてしまいます。

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その後行われた選挙でなんと僅差でネタニヤフが勝利をし、ペレスと労働党の政権は終わりを迎えます。ネタニヤフ政権の一期目は順調とは程遠いものでした。不本意ながらもオスロ合意の路線を継続したところ右派内の支持も低下。1999年にはバラク首相が登場します。

ラクは和平交渉へ乗り出しますが、2001年にはネタニヤフの後任となったシャロンに選挙で大敗します。政権の不安定さはパレスチナ人とユダヤ人間での自爆テロや暴力被害などが背景にあります。シャロンヨルダン川西岸を徹底的に再占領し治安の維持を試みます。イスラエル分離壁の建設を開始。

2004年にアラファトが死去してからパレスチナの2大政党の緊張は高まります。ファタハオスロ合意支持派)とハマスオスロ合意拒絶派)は対立し、選挙の結果ガザ地区の支配権をハマスが取得。イスラエルガザ地区を完全に封鎖し、青空監獄が誕生します。

アメリカとユダヤ

アメリカのユダヤ人はシオニズムに関して比較的冷静に見ている。支援していない時期もあったようです。シオニズム運動の初期にはアメリカに居るユダヤ人にとっても支持するものであり、ユダヤ人が安全に暮らせる場所には応援的でした。

しかし六日戦争からその流れが変化します。アメリカに居るユダヤ人は1975年までに15億ドル寄付しており、支援していたのは事実ですが、1982年にはイスラエルの戦車がアラブの首都を包囲し、住民に砲弾を打ち込む姿を見てショックを与えます。

アメリカのユダヤ人にとってエルサレム訪問は通過儀礼でありましたが、入植地で見られるきれいな赤い屋根の家が立ち並ぶ映像を見るたびに疑念が生まれていきます。アメリカのユダヤ人はリベラルであり多くの人はオバマに投票。オバマタカ派のネタニヤフと衝突をし援助費は過去最高額を歳出しましたが、ぎこちない関係でありました。ネタニヤフはアメリカのユダヤ人にとっては不人気であり、一方でネタニヤフはオバマイスラエルの脅威として見られていました。

アメリカのユダヤ人にとってイスラエルの擁護には関心がなくなり、トランプ政権には疑問を呈していました。アメリカのユダヤ人コミュニティ組織は板挟み状態になり、これからの新世代のユダヤアメリカ人はより興味が薄くなるのではないでしょうか。

感想

今までなんとなしの理解しか無かったパレスチナ問題について歴史を体系的に知ることができる本だったように思います。憎しみの連鎖が終わること無く、和平的解決に踏み切るとそこには右派が居て内部からも攻撃を受ける。アラブ側も両側を向く居るものも居るために、どの方向へ行っても犠牲者は出るという哀しい状況です。

過去数十年もの間イスラエルが実行していることは民族浄化と呼ばれており、パレスチナ人の移動を制限し異常な人口密度で生活し、水道や電気も制限される。こういった状況で生活させられれば否が応でも憎しみを生み、世代で受け継がれてしまい、また他の選択肢なく戦闘員となり得るのも想像できます。

一方で、混ざり合い生活することになるとテロや暴行などが発生する。イギリスが持ち込んだユダヤ人の国家という理想は軋轢を生み出し続けてきました。権利を主張し、国連が決議を下しても何も変わらない生活は地獄のように思うでしょう。これだけSNSが発達した世界において自分たちの発言が何も届いていないような環境はとても苦しく思います。

その時々の事象を切り取りハマスが悪い、イスラエルが悪いという事はできますが、単純なものでもありません。絡み合う人たちが多すぎる上に、譲歩のタイミングを逃しつつある状態。

知ることはできても、楽観的な希望を望むのはいいものの、一人の人間として何ができるのかと考える日々です。

📚 Relating Books | 関連本・Web

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  2. https://amzn.to/3R0e9ga 小説人間の歴史〈第1〉 (1967年) (Kawade world books) - – 古書, 1967/1/1 J.A.ミッチェナー (著), 中野 好夫 (翻訳), 小野寺 健 (翻訳), 沢崎 順之助 (翻訳)
  3. https://amzn.to/47ZU801 カーター、パレスチナを語る―アパルトヘイトではなく平和を 単行本 – 2008/6/10 ジミー カーター (著), 北丸 雄二 (翻訳), 中野 真紀子 (翻訳)
  4. https://amzn.to/47UYeXg From Beirut to Jerusalem (English Edition) Revised 版, Kindle版 英語版 Thomas L. Friedman (著)
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  7. https://amzn.to/480IBha ヨルダン川西岸(3部作)[DVD]一般版 (<DVD>) DVD-ROM – 2020/10/28 土井 敏邦 (著, 編集)
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  10. https://amzn.to/46CHd2Z ユダヤ人問題とシオニズムの歴史 単行本 – 1994/10/15 ウォルター ラカー (著), Walter Laqueur (原名), 高坂 誠 (翻訳)
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  15. https://amzn.to/47CRLAt ラビン回想録 単行本 – 1996/3/1 イツハク ラビン (著), Yitzhak Rabin (原名), 竹田 純子 (翻訳)
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  17. https://amzn.to/3T8KzYp オリエンタリズム 上 (平凡社ライブラリー) 文庫 – 1993/6/21 エドワード・W. サイード (著), Edward W. Said (原名), 今沢 紀子 (翻訳)
  18. https://amzn.to/419HwBw 収奪のポリティックス: アラブ・パレスチナ論集成1969-1994 ハードカバー – 2008/7/30 英語版 エドワード・W・サイード (著), 川田 潤 (翻訳), 斉藤 一 (翻訳)