英語を勉強しようと決め、目標が何となく決まりました。
そこから英語の勉強を本格的に開始するのですが、モチベーションにも変化がありました。というのも学習するに連れて色んな外部刺激(人、映画、本など)があり、刺激を受けるたびに人間の心は揺れ動きます。もちろんモチベーションが下がることもあれば上がることもあるのですが、幸いにしてうまく良い波に乗れて勉強できたような気がしています。
フィリピン留学
前回に登場したハタチエイゴに細かく勉強のステップが書いてあるので正直そのようにやっていけば誰でも英語ができるようになると思うのですが、中々頑張れないのが人間。最初にやったことと言えばフィリピン留学でした。安く短期から受け入れてもらえるということであり、当時意識の高い大学生界隈ではとても有名なものです。
フィリピン留学の細かい話はまた別で書くとして、とても良かったのは英語を勉強する色々な仲間に出会えたことでした。
雑感ですが、イギリスやアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの英語圏に留学する人の方が志が高く英語の能力が高い気がしますが、フィリピン留学はそこまでに達しないが何となく英語頑張りたい!(気軽に安価で)という人たちの良い選択肢の一つだったのではと思います。
歳下の大学生から社会人を辞めてから海外就職したくてという人も含め沢山の価値観に触れられた経験はとても良かったです。CNE1は伊坂さんという日本人の方が経営しており、個人的にはとてもうまくまとまったカリキュラムで打ち込める環境を提供してくれておりとても良かった!(詳しくは体験記などで!)
周りの人が頑張っていると頑張ろうと思える性格であったため勉強する人に囲まれたのはとても良かったです。
また当時お会いしたフーモアという会社を経営している芝辻さんは少し上の世代でとても尊敬できる人に会えたのもとても刺激的だった。
アメリカ旅行
社会人になる前にやることと言えば、卒業旅行。
フィリピン留学から帰ってきて一週間も経たないうちにアメリカ旅行に行くことにしていました。というのもフィリピンで勉強して実践で使える場に行ってみたかったからです。
色々息巻いて行ったのですが、フィリピン人の先生の英語が出来ない僕に配慮してくれていた英語と全く違い、分からない事だらけでした笑
英語が分かったり分からなかったりでかつ何となく怖そうな雰囲気の時などおどおどのオンパレード。
そんな中多少通じたりするのはとても楽しい経験でした。
グランドキャニオンやラスベガスでのカジノ、レイカーズの試合観戦やFacebookキャンパスへ寄ったり、一緒に旅行してくれた当時の部活の友達に感謝したい。
世界の広さや楽しさを感じて、英語を勉強したいと思える経験になったのは確かでした。
新入社員研修
楽しい時間は過ぎ去るのも早いものでいよいよ社会人として働きだすことになりました。たまたま縁があり大手のメーカーに入社し、英語の研修が1週間ほどありました。200人程居る新入社員を内定式のTOEICで点数わけして10人1クラスぐらいで丸一日授業をするというスタイルです。帰国子女組、外国人組も居ました。
東大京大卒業生が沢山居るとても優秀な同期ばかりだったことにちょっとひるんでいたのですが、更に驚きだったのは、留学していないようなメンバーもTOEIC満点やTOEIC900点以上のスコアを持っていたことでした。
この驚きは当時新鮮でした。というのも日本人で900点超えのスコアを持っている人に出会ったことがなかったので、意外と行けるのでは、、、という楽観的ポジティブ思考を得ることが出来ました。
中には中国語、韓国語も合わせてできる理系の大学院生など居て、Oh...何やってきた自分はという感覚が強かったとともに、頑張ればこうなれるのでは、、、と思えました。
このクラス分けで下から2番目に組分けされたのはいい思い出です。(一番下のクラスはスポーツ入社枠が大半)
研修が終わる頃に受けたTOEICでは540点ぐらいだった記憶です。きっとフィリピン留学と研修の経験が行きていたのか、今まで500点越えたこと無かった自分はそこで「ああ、やればできるのだ」と思えたことは財産でした。
業務での閉塞感
業務配属されると、幸いやりたかったアイテムを取り扱う部署に配属されました。(今思うとこの制度とても全時代的でマッチング次第でモチベーション下がりまくりの同期が居ました)
業務ですが、グローバル企業と謳っていた会社だったのですが、海外の人と触れ合うことは殆どゼロ。しかも社内の人以外とは関わることが0に等しいとても閉塞感のある環境でした。
その中で英語の勉強だけは続けたいと思えていたので、毎日のオンライン英会話と週末のスタバでの勉強は続けました。ボロい寮の中で毎日欠かさず受け、いつか海外と関わる仕事がしたいと思っていました。
自分と違う世界に住むフィリピンの先生の話はとても面白かったし、教材を通じて少し世界の事が勉強できるのが嬉しかったです。
会社の飲み会終わった後酔っ払いながらも受講したり、夜に出来なかったら朝に振り替えたりとしていました。
TOEICの勉強もしなければということで、TOEICの問題集もこなすようにしており、そちらはまた別途纏めようと思います。
英語を使った業務が始まったこと
配属されて半年ぐらい経つと、幸いなことに海外に関わる業務が始まりました。というのもグローバルを銘打った企業でも僕が居た部署には典型的な英語恐怖症の人が沢山おり、英語があるととりあえず避けるという習慣があったため、自然と僕に回ってきました。
ただし、流暢とは決して言えない英語力であったので自分で発言するというよりは上司のサポートとして、英語の議事や会議の日程を調整したりというような事をしていました。その過程で日本語で上司と話して、上司が英語で発言というような事が何回かあると、上司が煩わしかっただろうこともあり「自分で発言しなさい」という趣旨の事をかなり婉曲的に言われました。
この経験から、「自分で話さないと駄目だ、自分で話したほうがラクだ」と強く思いました。
また、実践的な場ではやはりゆっくりとした英語でも無いし、各国の母国語に影響される訛りもあり苦しい場面も多く、勉強しようと素直に思えモチベーションを維持出来ました。
この頃受験したTOEICでは630点ぐらいでしたので、少しずつ点数が上がっていくという目に見えて分かりやすい効果があったのも支えでした。一方、こんなに勉強しているのにまだ630点なのか、、、という思いもありました。(別で纏めますが勉強のやり方の問題が多いと思います)
カンボジア、台湾旅行
年末年始に会社から文句を言われながらも休みを取得し、旅行に行きました。
ここでもカウチサーフィンをして台湾人の家に泊まらせてもらったのですが、とても英語が上手い人でした。聞くと昔アメリカに留学していたとか。台湾は同じ島国で非常に近しい文化のある国の一つだと思いますが、こんなに外国語に明るいのだと驚きました。
カンボジアに行った際にもカウチサーフィンで滞在した現地の人は、観光ガイドを英語でしており、とても流暢な英語を話していました。インターネットは家に無い環境で、ネットカフェに行かないと通じないと行っておりこの環境で英語を使いこなせるなんて、日本に居る恵まれた学習環境なのに英語が出来ない自分を恥じました。彼は日本語も勉強しており、ボロボロの教科書一つで意味のわかるやり取りができるレベルで日本語を話してくれました。音を聞く機会が少ないので発音の違いはあるものの、自分の努力不足を痛感した出来事です。
海外でのプロジェクト参加
年が明けると海外のプロジェクトが本格化し、より関わることが増えてきた。春に近づくと実際にヨーロッパの方へ行くという話になり、3ヶ月程の海外生活をしました。
向こうの工場ではフラットな立場関係で工場長にも自分の意思を伝える機会が何度もあり、聞く耳を持ってくれます。家族と過ごす時間が大切と言い、就業後は楽しそうに家族の元に帰っていく姿は、日本の事業所での先輩達の姿と全く違うものであった。飲み会に行っては業務の愚痴を言い、家族と過ごす時間を大切にしていないように見えていたためとても素敵な文化だなと思い、海外で就職したいという気持ちが増して行った。
また、文化のあるヨーロッパでは街を歩くだけでもとても楽しく、陸続きだということもあり週末の旅行が楽しみであった。
転職活動
その後日本に帰ってくるとまた代わり映えのしない生活が戻ってきた。2年目の秋ごろになるとTOEICも730点ぐらいに達した。オンライン英会話は飽きもせずに、非日常を味わえる唯一の場だったこともありとても楽しく英語に触れ続ける事ができた。
転職の移行も固まっていき、その後あっけなく転職活動も終わりより英語に関われる仕事に着くことができた。
このように、飽きやすい自分がモチベーションを保てたのはその時々の環境がたまたま英語を勉強させてくれる気持ちを作っていてくれた。
今振り返ると、机上の勉強(TOEICの点が伸びる)、オンラインでのコミュニケーション、海外での実使用というループがうまく回っていたのかなと思います。
モチベーションさえうまく保てられれば物事を続ける事は誰にでもできると思うので一つの参考になればと思います!