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AFTER STEVE アフター・スティーブ 3兆ドル企業を支えた不揃いの林檎たち | トリップ ミックル (著), 棚橋 志行 (翻訳) | 2023年書評#9

2011年Steve Jobsは多くの人に惜しまれながらこの世をさり、Appleの時期CEOにTim Cookへと引き継がれました。

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サプライヤーチェーン管理をしていたティム・クックへと引き継がれ多くの人はSteveとの違いを指摘。Appleの凋落を予想する記事に溢れました。2023年1月現在、10年以上もの期間でAppleはより成長し、Steveの死後にApple wacth、Air PodsApple Music、Apple Storeなど多くの収益基盤となるアイテム・サービスを生み出し続けています。

過去、Creative sellectionやJony Ive、アイザックソンのSteve Jobs伝記含め多くのApple関連本を読んできました。Steveの影響力の大きさ、Steveが去った反動もありながらも今も変わらず世界で最も称賛される企業の一つとして君臨するその背景にあるストーリーが本書もとてもおもしろかった。

本書は主にティム・クックとジョニー・アイブを中心に描かれており、Appleに起こる様々な試練に対して二人を中心にどのように立ち向かっていったのかをまとめられています。製品に関してSteveとジョニーは密に対話し多くの美しいプロダクトを世に出してきましたが、生産管理出身のティムとの波長のずれ、大きくなる組織体勢や管理業務への嫌気などもひしひしと感じられます。

結局2019年にジョニー・アイブはAppleを去ることになりました。

📒 Summary + Notes | まとめノート

2011年

2011年ジョニー・アイブはSteve宅訪問します。病院と化した部屋をせわしなく医師と看護師が動いていました。Steveは死ぬ前にApple幹部と個人面談をしていました。

「私にとってアップルは仕事ではない。人生の一部だ。この仕事が好きなんだ」とよくいっていた。

この面談で次のCEOにティム・クックを直接任命。2011年10月にティム・クックがメインプレゼンテンターとなりKeynoteが行われました。iPhoneは亡くなったSteve Jobsへ向けて4S (for Steve)と名付けられました。

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Steve Jobs追悼イベントでのジョニー・アイブの追悼コメントで、共に過ごした時間を振り返り「ホテルでチェックインした直後に、このホテルは最悪だ、出るぞ」というようなエピソードや「彼は絶えず問いかけていた。これでいいのか?これで正しいのか?」という話が語られました。

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アイブとクックの成り立ち

アイブはイギリス生まれ、大学時代からその才能は突出していた一方でどこかしら自身が持ちきれずに「いつか化けの皮が剥がれて評価されなくなるのでは」といった恐怖感も持っていました。

サンフランシスコはデザイナーの声が強く、十分に資金も与えられる仕事が多いと友人のクライブグリニャーから教えられており旅行で巡礼もした。大学卒業後はロンドンのロバーツウィーバーへと入社するが不況の煽りを受け破産。友人とデザイン会社を始めます。Appleがインダストリアルデザインチームを結成した際にルナーデザインのブルーナーを雇い、ブルーナーからデザインプロジェクトへの参加を打診されます。作成した模型や箱詰めが評価されてアップルへ入社します。

勤勉な両親の元で育ったクックはオーバーン大学へと進路を進め、IBMへと入社します。生産技術者や資材管理としてクックは名を上げます。その後デューク大学の夜間性としてMBAを取得。その後IBMで業務を続け31歳のときには上司が突然辞めることや、訴訟などから株価が25%下落、部門ごとの売却での交渉者など様々な難題をこなしていきます。

1998年にヘッドハンターから電話を受け取るとSteve Jobsが復帰したばかりのアップルに興味は無いかと聞かれます。メリットは無いと感じたもののSteve Jobsとの面談をしてみるとアップルへ入ってみたいと思うようになり、給与交渉の後に入社することになりました。

ジョブズの居ないアップルはアイブが創造していたものとは別物でした。デザインチームからはその実力をかわれマネージャーへ28歳の若さで昇格するものの、経営層の判断はデザインチームに対して面白くないものばかり。そこでジョブズが復帰したことでさらに不安な状態が続きます。

ジョブズIBMマセラティからデザイナーを雇う構想をしていましたが、アイブだけは残したほうが良いとフロッグデザインのエスリンガーに言われます。辞職も覚悟していたアイブと復帰後のジョブズの面会はデザインスタジオで行われ、製品アイデアを紹介すると「よっぽど立ち回りが下手だったんだな」と当時の経営層がクズであったという意の言葉を残しスタジオはいい仕事をしていると評価しました。二人のデザイン感性「より少なく、しかしより良く」「洗練を突き詰めると簡潔になる」はマッチしていました。

これを機にアップルではデザインチームの影響力はまして行き、デザインのコンセプトを元にプロダクトが制作されることになりました。サプライヤーの製造ラインまで足を運び、生産スケジュールに影響を与えるような仕様変更なども行われました。

一方クックはというと生産管理という背景からも硬い性格であり、生産を揺るがすデザインチームの判断に反目する時もあったといいます。在庫管理に非常に厳しく、在庫日数をへらすことや、仕掛り品と組み立て品とを分けて管理すること、フォックスコンとの協力な関係構築など数多くの業績を残していきます。

ジョブズがなくなる前には「きみがすべての決断を下すんだ」「ひたすら正しいことをしろ」とCEOになることを伝えられます。

ソフトウェアの天才フォーストール

NeXTやiOSnいて責任者を任されたフォーストールは、ジョブズの居なくなったアップル内にて影響力を持ちますが、アイブやクックと衝突します。ジョブズが去ったアップルにてアイブは腕時計型のコンピューターの開発に声を上げますががフォーストールはアップルTVの開発の意見を上げます。ウォッチ型の懸念を散々あげてアイブの意見には賛同しませんでした。

iPhone試作機の通話がうまく機能しないことがありソフトウェアに問題が無いか点検した後、より薄く軽くしようと試みたデザインにより問題が起きていたことを突き止めると二人は衝突します。ベジェ曲線を利用した角を美しいとするアイブに見解ではデザインは調和していなかったのです。

アップルがマップアプリへ乗り出した時もフォーストールが責任者でした。オランダのトムトムを買収しマッピングシステムを導入したもののうまく機能しないことがわかり1から作り上げなければならず買収費用は無駄に。Googleマップより高度にしようと様々な機能を盛り込んだものの、世に出した際に多くの不具合が検出されクックはこの責任をフォーストールへ取らせます。突然呼び出し、失敗だったこと、退職届にサインすることを求めます。

こうしてアップルのソフトウェアチームを支えた男は会社を去りました。

イノベーションを起こせない

ジョブズが去ったアップルはイノベーションが起こせずに数々の試練が押し寄せます。

中国で製造しているサプライヤーでの自殺問題、アイルランドへ子会社を持ち税制回避をしていたアップルは税務上の問題を指摘されます。メディアアーツラボと取り組んでいた広告キャンペーンも熱狂を生み出せずにいました。

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サムスンがアップルを煽るような広告キャンペーンを打ち出しシェアも伸ばします。

ここでアップルは中国市場へと拡大を画策します。チャイナ・モバイルとの商談を実施し中国での販売を開始。これにより売上が多く伸びることとなりました。

アイブが長らく手をかけていたウォッチプロジェクトも軌道に乗り始め、ドイツメーカーSeelaのガラス開発も進み、この開発により美しい耐久力のあるガラスが生み出され多くの建築で採用されました。2兆ドルの電気製品部門ではなく7兆規模のヘルスケア部門へのステップとなります。

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Applewatchの登場を発表したKeynoteではジョブズが観衆を沸かせた「One more thing」が飛び出します(58分ごろ)

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Apple watch開発にはVogue編集長のアナ・ウィンターとの面談やファッション業界からマーケティング担当の採用などテック業界だけでない方向への結びつきを開始しました。

Keynoteで称賛を浴びたとともに、多くの方面から疑問視されることとなったApple watchでは製造でも問題が発生。生産は大きく遅れたために高級ファッションブランドが行う希少性を基にしたブランディングが行われ高級百貨店での取り扱いがされました。思うような売上につながらなかったためにファッション業界からフィットネス業界への画策も行われます。

それでも中国市場での成功をきっかけに過去最高の売上を記録したアップルはウォール街でも評価されます。そして音楽市場へとビジネスを拡大しApple Musicを発表します。

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この発表はレーベルへの無料参加を呼びかけたことを機にテイラー・スウィフトが生命を発表。巨大な企業がアーティストを守らない姿勢に苦言を呈しました。結果、アップルはSpotifyよりも高待遇な支払いをアーティストへ行います。

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その頃からアイブが会社から距離を置くようになり、このことが株式市場への大きな影響を危惧した経営陣はアイブの働き方を見直す受け入れをします。ジョブズを失った痛みはアイブから消えることはありませんでした。

2015年、ISなどのテロや殺人事件をきっかけにFBIから事件協力を求められセキュリティ問題に直面します。iPhoneのデータを公開しFBIに協力することは信頼を失うことになるため慎重に対応し、結局FBIはハッカーに多額の費用を払い事件の手がかりとなるiPhoneのロックをすることになりました。ここでも消費者や事件遺族へ信頼を失わないように難しい対応が求められました。

その後Appleはワイヤレスイヤホンの開発へと切り出します。イヤホンジャックを取り除き買収したPassif Semiconductorの技術を用いてワイヤレス接続できるヘッドホンを開発。

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iPhone7、Air Podsの販売後、サムスンリチウム電池の発火問題を起こし大きく売上を落とす中アップルは好調を維持しました。

さらにさらに、今度はアメリカの政権交代が起きます。ドナルド・トランプアメリカ・ファースト、強いアメリカを掲げ、中国との貿易に関税をかけます。中国で製造するアップルはターゲットとされていつ関税がかけられるか不安定な状態が続く中、ティム・クックは根気強く交流を続け、アメリカでの雇用貢献を主張しました。

しかし、2019年には貿易摩擦の影響などもあり16年ぶりに四半期の業績予想を下方修正をしてしまいます。バークシャー・ハサウェイや年金制度もあり多くの人々がアップルの株価で影響を受ける状態となっている状態。アップルTVの影響もあり一時下落した株価はまた押し上げられました。

そして2019年6月27日、突然デザインチームは他部門との打ち合わせをすべて取り消して集まるよう招集されアイブが辞めることを伝えられます。ジョブズが去ったあとに多くの才能がアップルを去り、会社の規模も驚くほどおおきくなっていました。アイブが責任を持っていたアップルパーク建設が完成し自分の役割は終わったとアイブは判断したようです。

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感想

ジョニー・アイブ、ティム・クックのストーリーを中心にジョブズが去ったあとのアップルについて事細かにまとめられておりとても興味深く読みました。振り返ってみると数え切れないほどの困難が待ち受けていたのだと改めて思うのですが、その中でもジョブズが去った頃と比べて比較にならないほど大きくなり、これを成功と呼ばずに何と表現するのだろうとも思います。

Jony Iveはアップルを離れ外からアップルと関わるようになりました。アップルの製品は今でもなお美しくどこのプロダクトよりも完成されていると素人ながらに思います。

ティム・クックもデザインだけでないアップルへと成長させた多くの貢献を残しています。2014年には個人的なことであるもののゲイであるカミングアウトなどもありましたが、中国への展開や厳格な製品管理はアップルの財政面を揺るぎないものにしたでしょう。

アップル社内の人たちはまさしく激動の時を過ごしたのだと思いますが、製品への紳士な姿勢やその中に多くのインパクトを与え続ける能力、改めてアップルがアップルたる所以を垣間見ることができました。

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